【元教員】学校の先生役やって!に嫌悪感・・・私の生き方を再確認。

教育の本質を考える

娘がランドセルを買った。
じいじ、ばあばに買ってもらった。
とっても喜んでる。

その夜、学校ごっこをやりたがった。

「お母さん学校の先生だったでしょ?
ここに座って、先生役やって。」

え、やだ。

「いいからー」

しょうがない…(嫌悪感あり)

「はい、教えて!」

え、何を?

「このページやりましょうとか
鉛筆持ってくださいとか」

え、絶対やだ。
お母さんのポリシーに反するから
それはやらない。

(ものすごい嫌悪感)

「えー、なんか言ってよー」

・・・
わかった。

好きなことを
好きなようにやってください

以上
!!

今ならわかる。
子どもが何をしたら
将来力強く生きることができるのか。
輝けるのか。

指示されたことを
指示された通りにやれる力を
つけることではない。

漢字を覚えていることでもなければ
計算力でもない。

すべてを満遍なくできることでもない。

みんなと同じことができなければ
いけないわけでもない。

今の社会の構造だと
上のような本質とズレたような力がついてしまう。
その力が大事だと思ってしまう。

それが自然なことなんだと
娘を育てて初めてわかった。

教員をしているときに気づいていたら
と思うけれど
それを言っても仕方ない。

何もわからずに
それを助長するようなことをしてしまい
後悔がないわけではないけれど
きっと私にとって最適なタイミングで
気づくことができたんだと思う。

まだまだできることがある。
私だからこそ伝えられることがある。

元教員
うつで休職
好きなことをして生きるライフシフト
学校教育このままではまずい
娘がこれから小学生
親は学校に行かない方がいいんじゃないかと思ってる
でも娘は行きたがってる

そんな私ができること。
そんな私だからできること。

これを模索して進んでいく。

考えることをやめない。
可能性を諦めない。
やれることをやっていく。
声を出していく。

怖いよ、正直。

でも今のままじゃ絶対にダメだと思う
その気持ちは強い。

このままじゃいけない
もっと良くなるとわかってる。

じゃあどうする?
何ができる?

好きなことをして生きること
無理しないで生きることがモットー

でも
それを貫く覚悟でいるならば
戦わざるを得ないこともある。

戦う。
自分と、だね。

他人軸に傾かず
自分軸でいけるかどうか
これは戦い。
自分ともっと仲良くなるための
ちょっとした戦い。

最後に、

好きなことを好きなようにやってください
以上!

って言ったら、

「はい、ありがとうございます!」

ってやり始めた・・・

娘よ・・・
そのまま素直に育っておくれ・・・

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